18Jul
姪の大おば様(私もお陰で親しくしてもらっていて、今じゃ世代を超えた友人でもある)から、以前「面白いですよ」と薦められた対談番組 NHK Eテレ「SWITCHインタビュー達人達(たち)」。
多様化するイギリスに暮らす親子の成長物語を描いた「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞を受賞したブレイディみかこさん。そのブレイディさんが会いたいと望まれたのは、日本の演劇界の第一人者で演出家であり作家でもある鴻上尚史さん。「鴻上尚史のほがらか人生相談」での鴻上さんの丁寧で、誠実な回答、具体的で、実行可能なことをアドバイスするこの人生相談にブレイディさんもすっかりファンなのだそう。お二人の対談、心が熱くなるものだらけだった。
番組の冒頭では、ブレイディさんの息子さんの言葉が紹介されていた。
(中略)
世界中で起きているいろんな混乱を僕らが乗り越えていくには、自分とは違う立場の人や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが大事なんだって。
「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」
この言葉に心が打たれた。たくさんの共感を生んだのは、この言葉も胸に響いたんじゃないのかなと思う。
こちらの対談、何回かに分けて書き留めていたいと思いました。
番組の対談、終わりの方で鴻上さんが
「演劇、エッセー、テレビに出て、やっていることは、根っこは全部一緒。大本は、言っていることは、たぶん『幸せになろうぜ』っていうことだと思うんですけど」と。
「SWITCHインタビュー達人達(たち)」
そこに、ブレイディさんが
「それなんですよね!みんな幸せになろうっていうのが。私も幸せになるために人間は生きていると思うんですよ。」
「SWITCHインタビュー達人達(たち)」
と強く共感していらっしゃったのが心打たれた。
「幸せになっていいんじゃないですか?」「いいですよね!私もそう思います!」
「SWITCHインタビュー達人達(たち)」
という場面、すごく心が熱くなった。
その中で特に印象に残ったのが、「シンパシー」と「エンパシー」の違いについてお話しされていたところ。
エンパシー他人の立場を想像し感情を分かち合う能力共感同情を意味するシンパシーとは区別された言葉。
「SWITCHインタビュー達人達(たち)」
「自分で誰かの靴を履いてみること。」
と「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」の中でのブレイディみかこさんの中学生の息子さんのことば。
(中略)
世界中で起きている色んな混乱を僕らが乗り越えていくには、自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像して見ることが大事なんだって。
ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー
「シンパシー」は感情的に同情したりとか同じような意見を持つ人と共鳴したりすること。
【ブレディみかこさんの説明によると】
「エンパシー」は対象に制限はなく、自分と同じ意見を持っている人でも持ってない人でも、同情できる人でもできない人でもいいから他人の立場になったら、その人の立場だったら自分はどうだろうと想像してみる能力。「abilityアビリティ」と英辞書に書いてある。そこには希望がある。伸びることができるから。だから、そこの能力を磨いていくことが多様性で大事なんだよ。
「SWITCHインタビュー達人達(たち)」
と息子さんはイギリスの学校で習ってきたと。
鴻上さんが「それはなかなか本当にそうだな」と答えていらっしゃった。
そして、鴻上さんは
「理解し合う訓練になるのが演劇でもある」
「SWITCHインタビュー達人達(たち)」
というようなこともお話されていた。例えば
「いじめる側」と「いじめられる側」両方を演じてみる。演劇を子供の頃からやっていくことで、立場の違う(両極)にいるものの氣持ちを感じることができるのではないか、
演技なのに心が張り裂けそうになるのとか
「SWITCHインタビュー達人達(たち)」
と。
小さな子どもたちって「ごっこ遊び」をします。その「ごっこ遊び」って遊びの中で役割を通して、相手のことも考えることが出来ていくようになるそうです。私たち大人も子どもの頃にはこの成長過程を通っているのです。
大きなところで言うと、人種、文化、言葉、経済的なことの違いでも相手の背景との違いがあり、小さなところで言うと、同じ言葉を話しても、育ってきた家庭環境、地域、また、同じ家庭で育っても、兄弟姉妹立場が違うので、本当に自分と同じ人など1人もいないのかも。「天上天下唯我独尊」って言葉はこういうことかな。
鴻上さんは今日本でブレイディさんの本が多く読まれていることに「すごい希望だなと思うんですよ」とお話しされていました。
ブレディさんによるとイギリス人でもあまり区別をして使っている人はいないのではないかとお話されていた。
鴻上さんも「道徳教育」とは「かわいそう」という同情ではなく「相手の立場に立てる能力をどうしたら伸ばせられるか」ということだと。
Sympathyと言えば、私は以前、イギリスにホームステイした時、イギリスではリーティングカードを送る機会が多くて、街に素敵なグリーティングカード専門ショップもあって、”With Sympathy” のカードもあったことを思い出す。お悔やみの時に送るカードだそう。黄色のバラの花の絵のカードだったり、ユリの花の絵のカードだったような?。
角田光代さんの「対岸の彼女」という本も立場の違いを超えるお話しだったな。好きな本。
お二人の対談を聞いて、「シンパシー」は「心配シー」(なんちゃって笑)で、心配は親切の押し売りって聞いたことがあるけど、そう言うことも含まれているのではないか。「お節介」と言うのか、「こうしたらいいのに」とかまで思っちゃうこと。「エンパシー」は、もっと「寄り添う」と言う表現が適切なのかな、そういったことなのかもしない。
そして、大きな社会という中でも「エンパシー」が広がればいいのだけど、もっともっと小さな単位。家族(親、兄弟姉妹)、学校や友人、職場で普段わかり合っていると思い込んでいたり、氣にもかけない相手にこそ「エンパシー」を持ち合わせて一緒に、そばにいるようにしたい。
この対談の、人種、文化の違い、経済的なこととかの大きな立場の違いとは全然離れていることかもしれなくて、ここに書くのが適切なのかは分からないけれど、
忘れられないのは、母を見送る日が近づいてきて、入院していたのは完全看護の大学病院で付き添いは出来ないんだけど、先生が「患者の精神的支援のため」と言う理由をつけてくれて、家族が24時間ずっと一緒にいられるようにして下さっていた時のこと(病院の方々にもその配慮に感謝でいっぱい)。
夜中は姪がまだ2歳になる前だったので姪ママは昼間担当。私が夜間の担当。でも昼間、眠るにしても姪がいるからあまり休めない、という状況の時に、姪ママのママ友さんたちが「子どもたちを遊ばせている間に休んでください」と声をかけてくださってありがたかった。
大阪出身のママ友さんは、その大学病院の近くのマンションにお住まいで、「少しでも早く少しでも多く休めるように」「仮眠を取られるように」と、なんと初対面の私にご夫婦の「寝室(ベッド)で休んでください」と声をかけてくださり、その間、姪の面倒を見てくださったことだ。夫婦の寝室って!ベッドって!かなりプライベートな空間を友達の姉だからと言っても初めて会う人に貸していいなんて、なんて度量の大きい深い人なんだ…。それにママ友と言ってもまだ知り合って一年くらいの人なのに。てか、遠慮しないでいいのか?とも思ったけれど、甘えさせてもらった。そのママ友さんがいうには「自分も身体が弱くて入院を何度もしたことがあるから…」ということだった。この体験は感動以上に、かなり心を揺すぶられた。なんか、「包まれる」という表現がしっくりくるようなものだった。
そうやって、ただ、純粋に「休んでください」みたいなその人にとって一番必要なことを、すっとこころよく申し出てあげられる人たちが周りにいてくれるって、どんなにか元氣をもらえることだろう。希望をもらえることだろう。
「エンパシー」=「abilityアビリティ」と英辞書に書いてある。そこには希望がある。伸びることができるから。だから、そこの能力を磨いていくことが多様性で大事なんだよ
「SWITCHインタビュー達人達(たち)」
というブレイディみかこさんの話されていたことが、深く実感できる。
PR
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
PR
鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋
PR
対岸の彼女 (文春文庫)