26Apr
昨日、スーパーへ買い物に行った。
ここのところ、入り口の真ん中辺りに、アルコールが置かれていて、私が見る限り、皆、入店前に手に一吹きしている。
これだと、商品を触ったとしても、感染症のリスク、減らせるかな。
(最近、消毒、殺菌のし過ぎで常在菌までいなくなってしまうことに危機感を抱いている人の考えも目にするし、個人的には、その考えにも共感できて、
【「目に見えないものは皆敵!」と思う視点から「目に見えない助けてくれる存在もいる」という視点を持ち合わせたい】と思っている。)
そして、心の中にふと思い浮かんだ。
【他力本願】。
これまでの日本ではあんまり良しとされなかったような…?
でも、本当の他力本願の意味は、もしかしたら、自分でやれることをやって、そこから先は、他の人たちの影響も避けられない、というようなことなのかも。
【人事を尽くして天命を待つ】
とほぼ、同じようなことなのではないかと、思ったのだった。
今回のスーパーでの様子は、自分だけで気をつけるより、みんなちょっとずつでも意識してくれたら、さらに相乗効果になるだろうし。
【人事を尽くして天命を待つ】というのは、面接とかまさにそうだもの。
面接に限らず、人間関係って、他力の部分かなりある。
相手から、この人とだったら一緒に仕事してもいいかな、
とか、
友達になりたいな、とか思われると成立するというか。
よく、色んな本に書いてある【幸せの極意】も、自分だけの幸せではなく、他の人の幸せも思うとうまくいく。
とある。
でも、これと全く反対のように思われる考えもある。
自分のことを幸せにしたら、周りも自然に幸せになる。
さて、どっち?
と思って試行錯誤してた時もあるけれど、
ここまで来て思うことは、 やはり、周りのことを思いやれないときは、自分への愛が足りないということなんだ。
相手が冷たいと思うとしたら、
でも、もしかしたら、その人も自分への愛が足りてないのか、何かを抱えているということなんだ。
と思えるくらいに、気づけるくらいにようやくなってきた。
自分が満たされていたら、周りの人のことも考えられるようになる、ということ、かなぁ。
だから、
ソーシャルディスタンスが大切って言われ始めたけど(笑)、
住み分けというか、
自分が傷つかない、不快に感じなくなるくらいの距離が大切な時もあるし、
声をかける、という愛も持ち合わせたい。
これ、今は、周りに愛がある人ばかりで、その人たちは、やはり、声をかけてる。
(でも、
プリミさんもだけど、話すときの声って静かなんだよなぁ。)
他力本願っていうのは、
この辺の、周りの人の愛にも助けられるってことかなぁ。