17Jun

東京アラートも解けて、今日は久しぶりに友人と会いました。人が集まるところは避けて、友人が車で送り迎えをしてくれて友人宅で会いました。
昼食にタコスを作ってもらいましたよ。
「ソーシャルディスタンス」を意識して、車の中でもマスクをつけて、
そして友人宅で私が使う用の手を洗ったときのタオル、そしてスリッパも別に用意してくれていて、食事をいただくテーブルの席は向かい合わせにならないように工夫してくれていました。
会うのは今年の2月上旬以来。2月の上旬、これから起こることを予感したかのようにそれまでより頻繁に毎日のように会っていた。
それから友人は地元のお父さまの容態が思わしくなく、東京と地元を新幹線や夜行バスで行き来していたのですが、本当にお父さまも旅立ちの日を選んだかのように、春分前に、まだ、家族揃って病院でぎりぎり見送ることが出来たそうで、こういう場には不適切な表現かもしれませんが「天晴」という言葉がぴったりな、そんな旅立ちでした。友人の姪っ子甥っ子は受験や卒業式、入学者手続きなどもあったそうですが、本当に数時間ずれていたら全員が揃うことが出来ないタイミングでの旅立ちから葬儀までの流れだったそうで、それからちょっとずれていたら、地元に戻れないか、もしくは東京に戻れないかのところでもあり、病院だってもう家族でも付き添いも看取りも出来なかったタイミングでした。
その友人といると普段から何もかもがベストタイミングのことが多いのですが、本当に今回もこのタイミングの流れになる友人って本当によくやったなぁという心からの労いと、お父さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
その友人には私の母を見送る時も、最期、病院で姪ママと交代で泊まり込みで付き添っていたときに、1歳の姪の面倒を泊まりで見に来てくれたりと本当に助けてもらいました。
お互いに私は母を、友人は父を見送って、色々「これを親が元氣なうちにしていたらよかったのにな」いう話をしました。
預貯金のことはもはや誰もそうであろうけれど、他には、やはりお墓のこと。
書類上のことなど、きちんとちゃんと出来ているか確認すること。
あとは、親の兄弟の名前など、友人は神道なのでそういったことも情報が必要だったそうです。
私が、母に確認していたらよかったと思ったのは、うちの先祖のお墓のこと。うちの祖父母や母のお墓は、今のところ問題なしですが、母方の先祖のお墓、割と近所で子どもの頃おばあちゃんともよく行っていたはずなのに、母が他界して帰省してから妹や父と一緒に行ってみたのですが、曖昧な記憶しかなく、あれ?こっち向きで手を合わせてた氣がするけど、同じ名字ががたくさんあるし、なんだかはっきりせず…、同じくおじいちゃんのご先祖様の方もあれ?この辺だったような?という感じで、もっとちゃんと場所をはっきりと確認しておけばよかった、と思ったのでした。
それから、BCGなどの抗体のことや、麻疹やおたふく風邪になったかどうかなども記憶が曖昧で、やっぱりこういうことはお母さんが一番なのだ(母子手帳があれば確認出来そうだけど実家にあるし)。
あとは、もう、皆さんのおうちは、家庭用ビデオカメラも普及していて、自分の子供の頃も「こんな感じだった」と確認はしやすくていつでも見られるとは思いますが、やはり自分が子供の頃の話や、親の子供の頃の話もたくさんたくさんしておけば、聞いておけばよかったと思います。
そうすれば、親のことももっと理解できたかも。たとえ厳しかったとしても、もしかしたら親の代のまたその親は戦争なども経験しているから、世の中の価値観もガラリと変わっただろうし、そんな時代背景の中で、想像以上に大変なことを乗り越えて来て心に色々抱えながらも暮らして乗り越えてきたのかもと、今となってから思うのでした。
そして、生きている最中は色々大変だったけれども、いざ見送って見るとやっぱり親には感謝しかなく、残った方の親には限りなく優しくなれるのでした…。お母さんにももっと優しくしたかったし親孝行したかったなぁ。【孝行のしたい時分に親はなし】っていう諺は本当だ。
と今日もあっという間の友人との楽しい時間でした。
友人のお母さまの手作りマスクを分けてもらいました。愛が籠もってるぅ〜。