26Jul

今日は雨が降っていたので、普段は歩くところをバスに乗ることにした。ICカードをかざして奥に進もうとしたら、運転手さんに声を掛けられた。
「さっき、多分ですが、向かって来られるときに何か落とされましたよ。場所は、あのお店の辺りのところです。発車までまだ時間がありますから、見てきてみたらどうですか?」
ちょうど、建物から外に出て、もうバスが停まっているのが見えたので、またすぐに次のバスは来るけれど、う〜んできればこのバスに乗りたい!と、小走りしながら折り畳み傘をケースから出し、傘をさした辺り。手に持っているバッグに折り畳み傘のケースは入っていたのでそれでは無いとしたら、心当たりがあります。濡れた折り畳み傘を、そのままケースにしまいたくないので、小さなビニール袋を畳んで入れているのですが、ケースのファスナーを開けたときに、今日はその前も落としてその時は自分で氣付いたので拾ったのでした。
「ありがとうございます。見てきますね」
やっぱりそうでした。拾ってバスに戻って運転手さんにお礼を言いました。
運転手さんが、面倒に思わず、声を掛けてくださったことが、ありがたくて嬉しくて、温かい思いで心が満たされた。
仕事以外のことだし、知らないふりをすることもできる。声をかけるって、ちょっとしたエネルギーがいることだってある。私なら声をかけることができるだろうか?やっぱり人は性善説だ、と今日も思えた。
運転手さんありがとう。助かりました。
次は私の番。もし、そういう人がいたら面倒臭がらず、声をかけようと思う。恩送りをするのだ。今日の運転手さんが親切にしてくださったことを、次は私もこの世界で誰かにお返しする。
そうやって、世界に温かい氣持ちが広がって、温かい氣持ちで満たされてゆくと良いと思う。ろうそくの灯火のように、分けても分けても消えることはない、減ることはない、そして広げることはできること。