23Aug
SWICHインタビュー達人達(NHK Eテレ 土曜午後10時)でブレイディみかこさんと対談されていた鴻上尚史さん。番組・対談の最後の方でお二人は「幸せになろうよ」と話されていたのがとても印象に残りました。
本当のコミュニケイション能力についてのお考えも、番組中で語り合われていました。
鴻上「コミュニケイションのうまい人っていうのは何かっていうと つい 日本人って コミュニケイションのうまい人っていうのは 誰とでも友達になれるとか 、わりと簡単に 人間関係を築ける人のことをコミュニケイションがうまいって思われていると思うんだけど、コミュニケイションがうまいっていうのは 物事がもめたときになんとかできる能力がある人のことだと」
ブレイディ「そうなんです。それが対応力なんですよね。だから多様性があると すごく もめるんだけど、それをどう折り合いをつけてやっていくかっていう力っていうのは 何か…自分たちだけ通用するって言っても駄目なんですよ」
NHK Eテレ-SWITCHインタビュー達人達-「ブレディみかこ✖️鴻上尚史」
目から鱗でした。「本当のコミュニケイション能力」もっと知りたくなって鴻上さんの本を読んでみることにしました。
「コミュニケイションのレッスン」の本の中で家庭、親の影響が根強く響いてくると語られます。ブレイディさんも、番組の中で「保育士になろうと思ったきっかけについて「大人が子どもに与える影響」について語られていました。
そして、自分のコミュニケイション、無意識でやっている(やってきた)部分がどこにあるかにまず氣付く大切さについても、述べられています。
【あなたのコミュニケイションのルーツは?】
あなたは、今のあなたのコミュニケイションのやり方をどうやって身につけましたか?
他人への声のかけ方。親しくなり方。説得の仕方。怒り方。ほめ方。激励の仕方。文句の言い方。自己主張の仕方。
そのやり方は、どうやって覚えましたか?
(中略)
ほとんどの人は、幼い頃から身近な人のコミュニケイションのやり方を見て、それをまねてきただけだと思います。
【自分の「当たり前」はどこからきているのか?】
「コミュニケイションのレッスン」鴻上尚史
こうやって、本を読んだり、テレビなどで話を聞いたり、自分自身や周りの人の言っていることを聞いたりして思うのは、乳幼児発達心理でも出てきますが「動物は周りを真似て成長していく」というところの、もしかしたら、もう覚えてはいない(表面に浮かんでこない)くらい小さな頃からの周りの反応、言葉、振る舞いが自分の起点、基礎になっていて、それで自分の言動が左右されている可能性もあるかも知れないこと。それに氣がつくまでは。
そして、ブレイディさんがイギリスの託児所にお勤めされていたときに、「コミュニケイション能力って すごい大事だと思った」と番組の中で語られていたのは、虐待だったり育児放棄をされている家庭の小さな子どもは 感情を伝える回路がうまく発達していなかったり、発達がちょっと遅れていると感じることがあったということでした。それをイギリスでは、保育・幼児教育の段階で 演劇的な要素を すごく取り入れていて、例えば壁に笑っている顔とか 泣いている顔とか怒っている顔とかの写真を貼って「これはどういうときにする顔かな?じゃあ、みんなでこの顔やってみようか!」と演じさせる、アクトさせる取り組みが行われているそうです。
そういった面から、日本での演劇教育についても、お二人で語り合っていらっしゃいました。
それを思うと、子どもたちの自然の発達段階って、なんてすごいんだと思わせられる。もう3歳になる前から「ごっこ遊び」や「見立て遊び」でやり取りをして、自ら、演劇みたいなことをやり始めるんだから。本当に面白い!し、興味深いことです。
4歳の姪も、幼稚園での教材「ちえのみ」だったり、「こどもちゃれんじ」だったりで、泣いたり、笑ったり、怒ったりしている顔を「これは、どんな気持ちの時の顔?」と、大人と話し合う時間を作るような環境ではある。でも、確かに、あくまで教材で、例えば、転んでいる場面で泣いている顔か、笑っている顔かを選んでシールを貼る、ということはしているけど、イギリスみたいに、「この顔やってみようか?」までは、家ではやってはいないし、幼稚園ではやっているのかな?どうなんだろう?
家庭で心がけてできることは、この「挨拶」の習慣でしょうか。
自分から先に挨拶をすること。こんなに簡単なことが、「私はあなたとコミュニケイションしたいと思っているんです」と言うサインになるのです。
コミュニケイションが崩壊している家庭、両親が家庭内別居していて兄弟・姉妹がいない場合、お互いに挨拶をしない両親を見ながら子供は育ちます。それが普通の状態になります。
家族といえどもちゃんと挨拶しないとコミュニケーションはうまくいかないんだ、話さないですべてが以心伝心で伝わるわけではないんだ、なんでも情で解決するんじゃなくて論理も必要なんだ、相手とつながるためには挨拶が必要なんだ、というのは家庭でいう「世間」が壊れ、「社会」が顔を出す瞬間です。
「コミュニケイションのレッスン」鴻上尚史 P190
「自分から挨拶ができる人」については、五木寛之さんもテレビ「世界一受けたい授業」の中で取り上げられていた『大河の一滴』を参考に、挨拶の大切さについてお話されていました。
「南極でテント生活をしているとどうしても人間は無精になるしそういうところで体裁を構う必要がないから身だしなみなどということはほとんど考えなくていいわけです。にもかかわらず、その中にはきちんと朝起きて顔を洗って一応、服装を整えて髪も撫でつけ顔を合わせると『おはよう』と挨拶をし『いただきます』と言う。こういう社会的なマナーを身につけた人が意外にしぶとく強く厳しい生活環境の中で最後まで弱音を吐かなかった。厳しい状況の中でもちゃんと挨拶ができるとかマナーとかエチケットとか、そういうことを忘れない。こういうことっていうのは極限状態の中で生きていく上では大事なことかもしれないと思います。」
『大河の一滴』(五木寛之・著/幻冬舎文庫)
【追記】あの松丸家の教育方針もやっぱり「挨拶」から
2020年10月28日放送のテレビ朝日系「あいつ今何してる?」で、長男はメンタリストのDaiGoさん、次男はアプリ開発プログラマーの彗吾さん、三男は調香師の怜吾さん、そして四男の亮吾さんは謎解きクリエーターという松丸一家のお父さまが『松丸家流”天才の育て方”』についてお話しされていました。「父親としては、子どもたちに『勉強しろ』と言ったことはない。ただ、『挨拶』はしっかりするように育てた」とやはり、「挨拶」を大切にされているようでした。
【『鬼滅の刃』炭治郎も!】
今、大ブームの『鬼滅の刃』。主人公の炭治郎、挨拶がきちんとできる人として描かれているんです!立場に関係なく「お疲れ様です」「ありがとうございます」と明るく挨拶をしている炭治郎。実は、こういうところも人氣の秘密なのかも知れません。
まぁ、「もう話したくもない」「話しても分かり合えない」という所まで行ってしまっている家庭やその他の人間関係もあるかもしれませんが。身近な人とはそうなる前に、自分のコミュニケイション、そして相手のコミュニケイションのやり方がどこから来ているのか、誰に影響を受けているものなのか、その背景に思いを寄せ、想像してみること、知ることができること、そうすると自分自身、そして周りの人との相互理解が深まり、必要のない誤解を避けることができるかもしれないと思わずにはいられません。それができないってものすごくもったいないことなんじゃないかなぁとも思います。人は、必ずこの世に別れを告げる存在ですが、よく、その直前に、送ってきた人生が走馬灯のように流れると聞きます。その時に、やりたかったことをできなかった、という思いもあるそうですが、この、「あぁ、あの人と分かり合えなかった」という氣持ちって出てくるのではないのかなぁ。自分がこの世の生を終える時だけでなく、相手がこの世の生を終えた場合でも、その氣持ちが湧いてくる氣がするのです。
ただ、本当に、一緒にいること、顔を合わせることが辛かったら、そして、鴻上さんの「この世界はあなたが思うよりはるかに広い」の中に出てくる「ないがしろにされている感」をどこかで感じるくらい苦しい人間関係なら、物理的距離を取ることもお互いのためという時もあると思います。(鴻上さんも「逃げろ!」と書いてあります。)
そして、育ってきた環境、まずは学校の評価システム。そのシステムが根底にあるからだとも思うのですが、親や祖父母、親戚の人、学校の先生など周りの環境にいた大人たちが、その人のことを兄弟姉妹、近所の同級生、周りの人と比べて叱咤激励、挑発する人だったら、知らない間に↓のような考えや心の状態を植え付けられているかも知れなくて、そのことによって、その人は極端な反応を取りながら生活を送ることになってしまっていることも多いかも知れない。
極端な2つの反応
「負ける」と「戦う」
「6時になんか集合したくない!」と叫ばれて、「ごめんなさい。6時じゃなくていいです」とすぐに謝る場合や「うるさい!とにかく6時なんだ!と声を荒らげる場合は、あまりうまいコミュニケイションとは言えないでしょう。
それは、単純に「負ける」か「戦う」かの両極端なコミュニケイションです。
じつは僕は、「100%負ける」と「100%戦う」は、同じ気持ちから出ていると思っています。それは粘り強く交渉することを放棄して、とにかく負けて服従するか、とにかく戦ってぶつかるかという単純な道を選んだ結果だと思っているのです。
(中略)
コミュニケイションとは、あなたと相手が効果的に情報と感情をやりとりすることです。お互いの要求や意見がぶつかった時に、ただ負けたり、ただ戦ったりするのではなく、お互いが満足する形で交渉する技術が、コミュニケイションの技術なのです。
「コミュニケイションのレッスン」鴻上尚史 P26
この「勝ち負け」と「戦う」という発想は、下の引用の発想にも繋がり、そうすると自分も周りの人も、どことなく苦しい人間関係になってしまうのではないかと思うこの頃。
若い頃は、0か100かを目指しがちです。全然ダメか最高か、です。
(中略)
でも、だんだんと人生は0か100かではなく、68点とか49点とかで生きていくものだと分かってきます。いえ、生きるとはそういうことだと気づくのです。
そうすると、やみくもに「自分をよく見せよう」と思うことがバカバカしくなってきます。(中略)
「自分をよく見せようとしても意味がない。周りを気にしすぎるのはやめよう」と決意して、それが実行できる人も、少数ですがいます。
そう思えれば、力が抜けてリラックスできるのです。
「リラックスのレッスン」鴻上尚史〜『精神的アプローチ〜自意識、このやっかいなもの』
こちらは、また、『大河の一滴』(五木寛之・著/幻冬舎文庫)の中で、五木寛之さんもこう語られています。
あれか、これかの選択ではなく(二者択一ではなく)、
あれもこれもという包括的な生き方をするほうがいいのではないか。
人間の生命の本質は両極のものが混ざり合ったところにあるのではないでしょうか。
『大河の一滴』(五木寛之・著/幻冬舎文庫)
本当のコミュニケイション能力って?「問題解決能力」。
「語彙が豊富」、「分かりやすく話をまとめて伝えられる」、なども上がってくるとは思いますが、鴻上さんやブレイディさんや、五木さんがおっしゃっているように、「自分たちだけで通用すればいい」、「0か100か」、「あれかこれか」、の視点を外してみることから始めるのも良い方法の一つではないのでしょうか?
マドモアゼル・愛さんもYouTubeで「これはだめ、あの人はだめ、あの人よりこっちの人。人生がどんどんつまんなくなっていくんですよ。その生き方って。」とお話しされていました。なるほど!と思いました。
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