31Jan
令和6年辰年、初詣は埼玉県・久喜市〈鷲宮神社〉へ。こちらの境内にある「光天之(みひかりの)池」には龍神様がいらっしゃるという。
【混雑具合】
連休明けの1月9日(火)、午前10時半頃、鷲宮神社駐車場につながる道がちょっとだけ混雑していましたが、駐車場はまだ空きがあり、すぐに停められました。帰りは11時前でしたが、この時間には駐車場は満車で、駐車場につながる道も渋滞の列が10時半ごろより伸びていました。
翌週の月曜日は、同じ時間帯でも、第二週よりはスイスイと詣れました。
由緒略記
「当社は 出雲族の草創に係る関東最古の大社として今昔より鷲宮大明神・浮島大明神または大酉元祖とも称し州群所々に多数の分祀あり」と書かれています。
由緒や御祭神でその時代背景やこの土地に暮らしてきた人々が、どの神様を祀って来たのか想像を巡らせるのも神社巡りの楽しみの一つであります。TOLAND VLOGさんの古代史考察You Tubeが面白くて神社巡りが楽しくなります。
由緒は、「神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、」と公式ホームページにあります。
御祭神は
- 大巳貴命
- 天穂日命
- 武夷鳥命
- 他九柱
この他九柱は、公式ホームページによると
建御名方神(タケミナカタノカミ)、伊邪那美神(イザナミノカミ)、大山祇神(オホヤマヅミノカミ)、宇迦之御魂神(ウガノミタマノカミ)、大山咋神(オホヤマグヒノカミ)、天照皇大神(アマテラスオホミカミ)、迦具土神(カグヅチノカミ)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、菅原道真(スガワラノミチザネ)
大巳貴命は、出雲大社の御祭神である大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の別名と聞きます。
それにしても、教科書で習った歴史で覚えているのは、世代だからか?「大和朝廷」と「大和民族」の印象が強い。「アイヌ」や「蝦夷」、「熊襲」、「秦氏」は聞いたことがあるけど、「出雲族って?」とこちらを初めて訪れたときはそう思いました。
それから、「武蔵国」と「出雲」が関わっているのも面白い。確かに、埼玉県大宮にある〈武蔵一宮 氷川神社〉の御祭神も須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)と出雲に関係する神様で、氷川(ひかわ)=出雲の斐伊川(ひいかわ)のことだと、これも本で目にしたことがあります。埼玉東部には〈久伊豆神社〉と名のつく神社も多い。伊豆(いず)=出雲を暗喩していると本で読んだことがあります。東京都府中市に位置する武蔵国の総鎮守社〈大國魂神社〉も「出雲の大国主神と御同神で、大昔武蔵国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、又医療法やまじないの術も授けられた神様」と公式ホームページにあり。
〈紋〉
三つ巴紋。「八幡神」の紋です。八幡神はヤハタ=ハタ、秦氏が関係していると言われています。
TOLAND VLOGさんや田中英道先生の本を読んで思ったのは、出雲、大和、秦氏の共同体ということを表しているのでしょうか。
神楽は『土師一流催馬楽神楽(国指定重要無形民俗文化財)』とあります。
さて、私も、「日本人が縄文時代の万物に愛されていた記憶を呼び戻すことが今後の地球生命にかかってくる」とか、TOLAND VLOGさんの「超古代史考察」やこれまで読んできた本で「日本人と古代文明の繋がり」が改めて面白く感じられるようになり、母方のじいちゃんが「自分の先祖はこうだった」と生前話していたことも思い出し、改めて自分のルーツにも興味が湧いてきました。そして、調べているうちに思いがけずじいちゃんのルーツがネットにも本にも出ていることが判明。へぇ〜と目からウロコでした。母やじいちゃんとこのことについてもっと語りたかったなぁ。ということで、父親ともルーツについて今度帰省したときにゆっくり話してみようと思います。
こんなこともあって「神社はお願いするところではなく、感謝や志を立てるところ」ということも理解できるようになりました。
↓それから、こんな本がありました!昨年神在月に出雲に旅行できたこともあり、出雲に興味津々。さっそく購入。
宝賀寿男さんの「古代氏族の研究⑯『出雲氏・土師氏』」。
ここに、出雲国造と武蔵国造がつながっているとありました!
〈土師氏について〉
祖先は相撲の神様としても知られる野見宿禰。野見宿禰については、兵庫県立歴史博物館の公式ホームページに分かりやすく記されています。
そのころまでは、天皇のようなえらい人が死ぬと古墳という大きな墓を造り、まわりに家来たちを生きたままでうめていたといわれています。
宿禰は、「いくらえらい人のためでも、人を生きうめにして殺すのはよくありません」と言って、そのかわりに粘土で作った埴輪(はにわ)をおくように、天皇にすすめました。そこで、それからは古墳を造るときに、人や家や馬の形をした埴輪をならべるようになったと言われています。古墳のまわりの埴輪を、知っている人も多いでしょう。
(中略)
その後野見宿禰の子孫は、はにわや土器をつくる「土師氏(はじし)」としてかつやくしました。
兵庫県立歴史博物館の公式ホームページ「たつの」のはじまり 相撲の神様、野見宿禰 より引用
古代の豪族でした。埴輪の提案は垂仁(すいにん)天皇の頃という伝承がのこっています。土器などを製作する粘土を「はに」とよんだことに由来。埼玉県西部には羽生(はにゅう)市もありますね!埴輪(はにわ)の製作、陵墓の造営、大王(おおきみ)の葬送儀礼などに関わっていたそうですが、時は移り、人々は「死」を恐れ、忌み嫌われるようになりました。死は、「穢れ(ケガレ)」となり、土師氏の子孫たちは、それを連想させる「土師」ではなく、改姓する流れになり、桓武天皇から「菅原」「秋篠」「大枝」を賜りました。
こちらの御祭神の一柱に菅原道真公がいらっしゃるので繋がりますね。
〈境内社〉
- 久伊豆神社(大己貴命)
- 姫宮神社(活玉依姫命)
- 八幡神社(応神天皇)
- 鹿島神社(武甕槌神)
- 稲荷神社(倉稲魂神)
- 神明神社(天照皇大神)
- 諏訪神社(建御名方神)
- 八坂神社(素戔嗚尊)
- 粟島神社
・粟島神社の御祭神はこんなにいらっしゃる!
TOLAND VLOGさんの考察に出てきた名前が勢ぞろい!
粟=阿波(徳島)とも。粟嶋大明神は少彦名命(すくなひこなのみこと)のようです。大国主さんをお側で助けていた神様です。
疑問点がひとつ。
土師氏は野見宿禰の子孫とされていますが、武内宿禰は祀られているのに、なぜ野見宿禰はこちらにお祀りされていないのでしょう?ちょっと引っかかります。
お守りも、ミニミニサイズもあってどれにしようか迷います。が、初穂料500円の基本のお守りをチョイス。
【おみくじ】
おみくじもおまけ付きからたくさんの種類がありました。姪っ子ちゃんは、見た目のかわいさで選んだようで恋みくじ。恋って意味分かってる?と言いたくなりましたが。何度も引きたいらしく、「これで引いていいよ」とお小遣いあげちゃいました。大吉が出たのに、弟くんの星座を避けよとあり、弟くんから鬼ごっこのように逃げる姪。追いかける弟くん。星座、血液型、干支と相性がいいと書かれていた条件すべてを満たすのは、身近に、にに(おじ)がいましたよ!よかったよかった。
ご本殿は左が神崎神社(大己貴命)、右が別宮として鷲宮神社(天穂日命)です。
〈そのほか、土師氏関連の神社〉
台東区の『浅草寺』『浅草神社』、久喜市から南方面へ埼玉県さいたま市岩槻の『久伊豆神社』には「今から約千五百年前の欽明天皇の御代(539~571)、出雲族の土師氏が東国へ移住するにあたりこの地に出雲族の親神たる大已貴命(大国主命)を勧請したのが始まりとされています』とあります。
埼玉県さいたま市岩槻の『久伊豆神社』の公式ホームページ、「ご由緒・久伊豆信仰」をクリックすると、埼玉県の神社の分布図が掲載されており、氷川神社、香取神社、久伊豆神社とそれぞれにご鎮座されている場所がひと目で分かり、面白いです。元荒川沿いに久伊豆神社が多くご鎮座なさっています。
〈地元佐賀にも土師氏・菅原道真公関連ありました!〉
佐賀市公式ホームページによると
「右近良達が初めて肥前に下向し、その子満達は蛎久・木角(現佐賀市鍋島町) 一〇〇町の地頭となった。 満達の子満政が川副郷内の土師村に土着したことわかる。」
佐賀市公式ホームページ
とあります。
宝賀寿男さんの「古代氏族の研究⑯『出雲氏・土師氏』」。巻末の出雲氏の系図(試案)に肥前国も出てきました。
野見宿禰の後裔土師氏が菅原朝臣、大江朝臣、秋篠朝臣、及び土師宿祢(千家、北島)などとなった。
菅原宿祢。河副[川副]−肥前国佐賀郡に起る。江副−肥前国佐賀郡の竜造寺八幡宮司。
(三浦の流れで)深堀−肥前の深堀一族には高浜、野母、高木。
宝賀寿男「古代氏族の研究⑯『出雲氏・土師氏』」
佐賀には神埼市の櫛田宮があります。鷲宮神社の由緒に神崎神社(大己貴命)がでてくるところも共通点があるのが面白いですね。神埼市櫛田宮の御祭神は櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)、須佐之男命(スサノオノミコト)、日本武命 (ヤマトタケルノミコト)です。
島根県の出雲市には伊佐賀神社があります。佐賀の由来も、伊佐賀神社の由来も言い伝えは繋がっていなさそうだけど面白いと思います。
その他、佐賀には豊玉姫命を御祭神としている神社が多かったりします。その土地その土地に祀られている神様を辿っていく楽しみがあります。